THE WAVE ウェイヴ(2009年・ドイツ) バレあり感想 マインドコントロールに関して知っておいた方が良い事って絶対あると思ったよ
マインドコントロールをテーマにした映画。
60年代にアメリカの学校で実際に起きた出来事がモデルになっています。
『THE WAVE ウェイヴ』
(原題:THE WAVE)
■あらすじ
高校で体育教師を務めるベンガーは、ある日校長からの要請で独裁に関する授業を受け持つことになった。
ベンガーは独裁のクラスを選択した生徒達に質問をする。
「現代では独裁はありえない?」
この質問に対しての生徒達の反応を見て、ベンガーはある事をクラスで始めた。
クラスの独特のルールや規律を作り、一人の指導者の下それを実行していく簡単なゲームのようなものだったが、それは次第に生徒達、そしてベンガー自身も独裁制の魅力に取り込んでしまう事になる。
■感想
・キャラクターの描き分けとマインドコントロール描写
作中の高校生達は、初めの頃は皆それぞれがとっても個性的です。
いかにもこんな奴居たわってなる感じの子供たちとして描かれてます。
ヤンキーかぶれの三人組だったり、恥ずかしがり屋の女の子だったり、根暗っぽい男の子であったり。
そんな、色んな個性的な面々が独裁のクラスには集まっています。
教師のベンガーがまず行ったのは席替えでした。
生徒達個人の人間関係では無く、成績の悪い生徒と良い生徒を組み合わせた席を決めて再配置します。
この席替え、後の展開を考えるとあんまり物語的に影響はないように最初思ってたんですが、
仲の良い友人同士というミクロなコミュニティを解体し、クラス全体というマクロなコミュニティに再統合していたという事かもしれませんね。
つまり、全体主義への第一歩的な描写だったのかも。
独裁のクラスでの授業が進んでいくにつれて、生徒達は次第に自分達のクラスだけの独特のルールや規律作りに積極的になっていきます。
そしてその過程で、クラスの皆は次第にお互い助け合ったり一つの目的に対して皆で進んで取り組んでいくようになります。
この辺りまでの流れを観てると、バラバラだった皆が一つになっていくハートフルな物語に思えます。
が、そうして皆が一致団結し始めた頃、クラスの女生徒の一人であるカロが、クラスの指定する白シャツにジーンズという制服が自分には似合わないと普段の服装のままで出席します。
ベンガーはこの日、クラスの名前を決める為の投票を行いますが、カロの挙手は最後の最後まで無視し、他に意見が居なくなったところでようやく彼女を申し訳程度に指名し、投票を行います。
この出来事以来、カロはクラスに顔を出さなくなってしまいます。
また、欠席したカロに対してウェイヴの面々は彼女を非難します。
この辺りの展開最高に心が爆ぜるわ!!!
独裁クラスの教師であり、ウェイヴの指導者ポジのベンガーは、このカロに対しての対応はほぼ間違いなく意図的に、悪意無く、独裁がどういうものかを実践する為の目的の一つで行っていたと思います。
が、ウェイヴのメンバーたちはそうではありません。
ごく自然に、他の皆と違う事をする彼女を非難しています。
ここからこの映画の本性が現れてきます。
制服の統一後のクラス。
この頃になるともう各キャラクターはヤンキーでもオタクでも無く、ウェイヴに所属する人間という形にほぼ収束してます。
キャラクターはたしかにこの段階でも描き分けられています。
が、それは当初のような物とは違い、ウェイヴに所属する誰々みたいな形になっています。
このマインドコントロール描写の自然すぎる流れはホント凄いです。
ここに至るまでに描かれるのは、いじめられてるウェイヴのメンバーを他のメンバーが助けたり、自分達の作ったロゴを街中に貼りつけたり、或いはウェイヴのメンバーとそのシンパで集まってパーティーをしたり。
そんな程度なんです。
知らぬ間に彼らは独裁の魅力にどっぷり浸かっていたというのが最後の最後で明かされますが、それにしてもこの描写は凄いです。
それが「5日間で人間はマインドコントロールできる」という話に凄まじい説得力を持たせています。
・ラストシーン
この映画、後半になるにつれてどんどん前半で描かれた人間関係が崩壊していきます。
ベンガーは妻に対して暴言を吐き、水球部のマルコはウェイヴを去ったカロと喧嘩をして殴ってしまいます。
そんな中、独裁のクラスのメンバーの中の絆と仲間意識だけはどんどん強固になっていきます。
そしてラストシーン。
ベンガーはウェイヴとそのシンパを秘密の集会としてホールに集めます。
そこでベンガーは、クラスの最後の日に集めたウェイヴで学んだ事に関して生徒達に記述させたレポートの抜粋を読み上げます。
その内容はいずれもウェイヴを称賛するものばかりです。
そして一通り読み上げた後ベンガーは演説を始めます。
演説!!
独裁と演説、ドイツ、
ヒトラーだこれ!!!!
この辺りは間違いなく意識してます。
そもそものテーマが独裁と全体主義ですし。
映画を観ている側としては、ここがクライマックスだと分かると同時に少し冷静な視点に戻れるポイントにもなってたりします。
何故ならあまりにもその演説の内容が突拍子も無さすぎるからです。
映画を観ている側としては、この段階でウェイヴとそれに反対するカロ、ベンガーの苦悩なんかも全て観ている訳なので、この演説が如何に胡散臭いものかすぐわかります。
が、作中のウェイヴの参加者たちはもうベンガーの演説に狂喜乱舞です。
そして、ウェイヴの異常性に気付いたマルコを壇上に反逆者として晒し上げたりして会場の雰囲気は最高潮です。
やったぜ。
このベンガーからの発言によって多くの生徒がこの瞬間に一気に脱力します。
ベンガーは「独裁なんて今の時代ありえない」という生徒達に対して、
彼らが気づかない内に独裁そのものを体験させていたって事です。
良く見ると何人かドッキリ仕掛けられた後みたいなリアクションしてたり。
こういう細かい描写も結構多くて面白いんですが、
問題はこの後ですよ。
元ネタになった事件では、最終的に教師が生徒達に上記と同じく「この状況そのものが独裁である」って伝えた事で収束したんですが、
この映画ではそうではありません。
ウェイヴの解散を告げたベンガーに対して、
ティムという男子生徒が拳銃を取り出してベンガーや彼を止めようとする生徒に取り乱しながら銃口を向けます。
このティムという生徒は、かなり早い段階から独裁の魅力に取りつかれていて、
ウェイヴに対して依存に近いレベルで取り組んでいました。
そして作中の描写から分かる通り、ティムは両親からあまり関心を寄せてもらっていません。
そういった寂しさなんかもウェイヴ依存の一因みたいです。
そんなティム君、最後には生徒を一人撃って自殺するというなんともダークな展開に。
映画的なオチというか、クライマックスを作るための要素がティムだったんでしょうか。
とにかく、ネタバレしてお終いかと思いきやそこからのこの展開で結構ビックリします。
最後にはベンガーが逮捕されるシーンでエンドロール。
この映画観おわった後の何とも言えない気持ちは、ぜひ一度味わっておけって。
・日本人的にはちょっと刺さるような内容
ドイツでマインドコントロール実験を元ネタにした映画と言えば、有名なのは『es』ですね。
こちらも実際に行われ、非常に危険な結果が残された有名な実験、スタンフォード監獄実験をモデルにしていました。
『es』は今ではマインドコントロール物の映画じゃ真っ先に名前が挙がるレベルの人気ですが、本作はそれに比べると、特に日本ではあまり知名度が無いように思います。
でも、個人的にこの映画は特に日本人が見たら『es』よりショックを覚える部分が多いと思うんですよね。
例えば、日本では社会人という言葉があります。
社会人とニート、フリーター、学生。
これらは所属するコミュニティの名称と捉える事ができます。
社会人はやっぱり学生やニートなんかをどこか下に見ますよね。
でもなんで下に見てしまうんでしょうね……。
僕なんて社会人やってた頃はもうそれはホントえげつない勢いでニートを見下してましたよ!!
今じゃすっかりフリーターだけど!!
これ実際に口で説明できないと思います。
社会人とニートの二つに絞って比較してみましょう。
多分社会人的には「収入も無く自立していないから」ニートを下に見るところがあると思います。
でも、それって社会人個人に対して、何か迷惑だったりするのでしょうか。
深く考えればなぜ下に見てるのか分からないような気がしませんか。
そもそも「社会人」という名称は一体なんなんでしょうか。
何を以って社会人を名乗るのでしょうか。
ていうか日本でいう社会って概念を考えたらこの言葉相当おかしくないですか。
つまり、こういった感覚的に思える思考も、実はマインドコントロールに通ずる部分があるんではないかと思う訳です。
前置きがかなり長くなりましたが。
作中では、独裁のクラスに名前を付けて、よりクラスの団結を高めようとします。
その名前が映画のタイトルにもなっている「ウェイヴ」です。
また、クラス独自の規律を作り、クラスのロゴを作成し、クラス全体で白いシャツにジーンズという制服で揃えます。
果てはクラス独特の挨拶、敬礼まで浸透します。
映画を通して観ていたら分かる通り、これらの一つ一つが、彼ら「ウェイヴ」に所属する生徒達に対するマインドコントロールの手法だったわけです。
自分達のコミュニティだけの特別なルールや印を作り、コミュニティに所属していない他の人々よりも自分達が上の存在だと思ってしまう、そういう過程をこの映画では描いています。
前置きで書いた社会人とかに関して、この映画を観た後だとちょっと考えさせられる部分があります。
社会人っていう言葉、これ自体が作中の「ウェイヴ」と同じ効果を持って作用してるんじゃないかなという事が言いたいんです。
というか日本は全体主義的な部分が未だに色濃く残っている国だと思うんです。
そこには良い部分も悪い部分もあると思いますが。
中学高校は今も殆どが制服を採用していますし。
そういや制服に関して作中で言及がありました。
制服には個性を排除して画一性を持たせるような意味合いがあると。
だからこそ、僕達日本人がこの映画観ると色々な気づきであったり考えが出てくるんじゃないかなと思います。
・その他
指導者役であるベンガー自身も知らぬ間に独裁の魅力に憑りつかれているように作中描写されてますし多分そうなんですが、
個人的にこれは実際どうだったのか気になってます。
あと、カロ役の人がくっそかわいい。
■まとめ
全体として、独裁というものがどういった形で浸透していったのかを描いていて、
その上で全体主義という政治的体制に対して第三者の視点から観られるように構成されています。
映画としてはマインドコントロールの恐ろしさも見所ではありますが、
それ以上に重要なのが、ウェイヴに反対していた人達の描き方です。
この反対派の人達に対してどう感じるかでこの映画の楽しみ方が良くも悪くも大きく変わります。
全体主義という体制は、特に日本人はなじみ深いものです。
だからこそ、一度こういう映画でも見て、少しだけ考えてみるのもアリだと思います。
ではまた。