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ジョーカー(2019年/アメリカ) バレあり感想 もしかしてこの映画そのものがジョーカーの妄想だったりしませんか?

 

 

なんというか、あまりに映画の出来が良過ぎて変なところ疑っちゃうみたいな、逆張り思考を煽られちゃう系のやつ。

 

 

『ジョーカー』

(Joker)

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画像引用元:映画『ジョーカー』オフィシャルサイト

youtu.be

 

以下、ネタバレを含む感想記事です。

 

 

 

ストーリー

救われなさ過ぎて頭おかしくなっちゃった。 

 

 

感想

 

めちゃめちゃ面白い映画でした。

ただこの映画、本当にこの内容だけをストレートに楽しむだけで完結する映画なのかと、ちょっと引っかかる部分が個人的にありました。だって、あのジョーカーの映画ですし。

 

正直言うと「ジョーカーのオリジンを再構築する必要は無いし、そんなもの要らないだろう」と思っていました。

底抜けな狂人という印象が完全に定着した今、わざわざジョーカーが狂った理由を改めて描かれても魅力が削がれるだけじゃないかと。

ただ観終って考えてみたのですが、この映画は単純にジョーカーのオリジンとして作った訳じゃ無さそうな気がします。

 

悲惨な人生を送るアーサー・フレック中年が、ジョーカーという悪のカリスマに変貌するまでの物語なので間違いなくオリジンではあるのですが、これ自体が実はミスリードなのかなと思っています。

ジョーカーのオリジンとして有名な、化学薬品のタンクに飛び込み髪は緑に肌は白に変わってしまった、というエピソードが完全に排除されている点を考えても、

実はジョーカーが誕生する物語を描くように見せかけて、何か裏があるんじゃないかと考えてしまいます。

 

つまりこれ、妄想オチなんじゃないかっていう……。

流石に邪推が過ぎますかね。

 

DC実写作品のどの世界とも繋がってない、完全に独立した世界観の物語なのも不思議だったんですけど、妄想オチだったら納得できますし。

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予告映像より。スーツが紫じゃなく赤なのも気になります。あざといくらいの偽物感と言いますか。

 

 

徹底的に救われない弱者として描かれるアーサー。

そんな彼がある時、三人のエリートビジネスマンを殺害してしまい、これがゴッサムシティの弱者達をある意味では勇気つけることになります。

そして不満は爆発し、下流の市民達はやがてピエロのお面やメイクを施した姿で暴動を起こし、その中でアーサーはジョーカーとなりカリスマとして祀り上げられる、というのが大まかな流れでした。

この流れ、物語としてあまりにも出来過ぎているように思うんですよ。

アーサーがジョーカーとなるまでの流れは説得力もありますし、ここに至るまでに描かれる狂気の数々はジョーカーというキャラクターの魅力そのものです。

だからこそ、そこに嘘臭さみたいなものを感じます。

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予告映像より。ピエロのマスクを被り抗議活動をする市民。ジョーカーがまるでヒーローみたいな扱い。

 

 

 

これジョーカーの妄想なんじゃないか?って僕が疑うに至った点を何個か書き出してみます。

 

作中でアーサーは「俺の人生は喜劇だ」と言っていました。

それは話の流れではアーサーが完全に壊れた事を示す発言だったんですが、同時にこのキーワードは一種のメタ発言とも取れるなーって思ってます。

 

また、作中ではアーサーがそもそも重度の妄想癖を患っている事が分かります。

アーサーがエレベーターで出会った女性と親密になったように描かれていた一連のシーンが実は全部妄想だった事が明かされます。

ここが一番明確に妄想として描かれたシーンではあるんですが、要はこれ現実と妄想の区別がつかない状態を観客側にも体感させてくれてるんじゃないか、とも思えるんです。

 

これを踏まえて妙に感じるのが、アーサーが冷蔵庫に籠るシーン。

映画の流れを考えてもちょっとシンプルに意味分からなくないですかあれ。

自殺未遂とか狂ってしまった事を示したシーンなのかとか、そういう線も考えたんですが。

アーサーが冷蔵庫に籠った後に、電話が鳴りアーサーのテレビ出演が決まります。

その時アーサーは冷蔵庫から出てきて電話を取っている訳では無さそうでした。

しかもこれ、以前一度晒し者にする意図で放映されたアーサーのショーの映像が何故か視聴者の間で大反響を呼び出演の依頼が来たという事で、ちょっとおかしい気がします。

つまり冷蔵庫に入って以降の一連の流れも、全部アーサーの妄想なんじゃないかと思うんですよ。

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予告映像より。この後ジョーカーは番組の司会者を射殺して悪のカリスマとして完成され映画は終わります。

冷蔵庫に入ったのは、あれは妄想スイッチを入れる為だったんじゃないかと予想しています。冷蔵庫って中に入ったら集中できそうだし。

 

 

 

※追記※

コメントにてご指摘いただきました!

最後にアーサーと面談を行っていた女性は最初の女性とは別人のようです。失礼しました。

※追記終わり※

 

そしてエンドロール前のシーン、アーサーは密室で精神科医(?)の女性と面談をしています。

この女性は映画の冒頭から中盤までアーサーの担当者として登場していましたが、なぜ最後の最後が面談のシーンなのか。 

エンドロール直前ではジョーカーは部屋から出ていて、足跡が血で染まっている為、おそらくあの女性は殺害されてしまったみたいです。

アーサーはあの女性に対して映画中盤辺りで「自分の話を聞いていない、自分を視ていない」と言っていました。

つまりあの女性はアーサーの存在意義を否定する象徴みたいなもので、それを殺害する事でアーサーがジョーカーとして完成された事を表しているのかと思ったんですが、

ここに至るまでの一連の内容が妄想だったと仮定すれば、むしろこの最後のシーンから本当のアーサーのオリジンが始まるんじゃないかと、今はそういう考えになっています。

自身の妄想から力を得たか、あるいは現実と妄想の区別が付かなくなったのか、

とにかくあの最後のシーン、ジョーカーとしてでは無くアーサーとして意図的に描いていたと思うので、この可能性も無くは無いんじゃないかなって……。

 

 

とにかく妄想オチを推したいってわけ。

僕の考察はたいていハズれますけどね。

 

 

個人評価:★★★★☆

 

アーサーが狂ってしまう過程をこれでもかというくらいまじまじと描いている為、ジョーカーという狂気が誕生するまでの物語として物凄く説得力も魅力もある映画だと思います。

なんですけど、やっぱり僕個人としてはその物語があまりにも出来過ぎている印象があって、妄想オチであるとか、物語そのものがジョークオチみたいな、そういうメタ狂った落とし方をしている可能性がどうしても脳裏にチラつきます。

 

妄想オチや夢オチって僕個人としてはこの世で一番嫌いなものなんですけど、

ジョーカーがもし妄想オチだとしたら、あまりにもやり口が上手すぎて感動するレベルなので、それはもうめちゃめちゃ好意的に受け止めます。

 

 

なんにせよ面白い映画でした。

なんかちょっと意味不明な方向の感動もあったんですよ。

DCがダーク路線に戻ってきた!みたいな。

 

ではまた。

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