ゴースト・イン・ザ・シェル(2017年・アメリカ) バレあり感想 攻殻機動隊の実写映画としては個人的に大歓迎だし好きですが、辛口評価があるのもわかります。そんな映画。
アメリカで公開された直後に、
物語のテーマに対して解決が見えない、テーマやメッセージがあやふや、みたいな事が一番言われていたように記憶してます。
また予告の段階からホワイトウォッシュだとか素子に白人はどうなんだとかも批判として言われていました。
これも公開後も引き続き批判点として持ち上がっていました。
そういう先行評価を受けての日本公開でした。
アメリカでの辛めな評価に対して、日本ではかなり好意的な評価が多かったように思います。
というところを前提に、僕自身の立ち位置としては、
基本的に全面的に肯定したいし凄く楽しめました。
この理由なんかも含め感想書いていきます。
あと、原作の『攻殻機動隊』は原作、それを元に95年に映画化された押井監督のghost in the shellは押井版と表記してます。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』(原題:Ghost in the Shell)
出典:映画.com
■ストーリー
電脳化や義体化といった技術が発展し、人類のアイデンティティが曖昧化し始めた近未来。
肉体に重傷を受け、脳以外の全身義体化を余儀なくされた一人の女性。
それから一年後、その女性ミラは少佐として公安9課に所属し、サイバー犯罪やテロリストとの戦いに従事していた。
義体化技術で屈指の大企業であるハンカ・ロボティクス。
ハンカ社に対してのサイバー攻撃を取り締まる為に公安9課が捜査を開始する。
だがミラは捜査を進めていくに連れ、この事件が自分自身の失われた記憶と深く関わりがある事に気づき始める。
■感想
この映画は、まさに押井守監督が95年に士郎正宗氏の漫画『攻殻機動隊』をアニメ映画として制作した『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の実写化作品って感じでした。
わりと素直というか、ストレートな実写化だと思います。
実写化そのものに全力注いでる印象。
制作陣は押井版攻殻を本当に良く観ているという事が随所から伝わってきますし、押井版の実写化をする事に対しての強い拘りを全編から感じました。
ただ、そこが問題でもあるように感じました。
制作陣が力を入れている部分って、これは言ってしまえばファンサービスの要素だと思うんですね。
言い換えれば押井版を観たことがある人に向けてのアプローチに全力になっているってイメージです。
僕自身が原作も押井版も、もっと言えばSACもSSSもARISEも凄く好きで、だからこそ惹きつけられる要素が満載でした。
それこそ映画の冒頭の、ミラの義体化の一連のシークエンスが完全に押井版のアレな訳ですよ!!
フレームを形成して、外組織をはっ付けて、なんかそれがパラパラ宙に舞っていってみたいな。
あのシーンを本当にストレートにそのまま実写にしてきてました。
これのこと。
というか印象的なシーンは余すことなく実写化してます。
押井版だけに限らず、攻殻機動隊の実写映画という観点から見ると凄いこう、テンションがあがるシーンが多いです。
光学迷彩を用いて逃走する男と素子の戦闘であったり、
多脚戦車との戦闘であったり、
ダイビング少佐であったり。
それこそ人形使いという名前は出てきませんが、その位置に居るキャラクターも居る訳ですし。
この映画のエンドロールで最初に流れる曲なんてまんま押井版のオープニングの曲な訳ですよ。
そういった原作リスペクトなシーンの数々は、この映画で初めて攻殻機動隊を観る層を置いてけぼりにしてる感じもしました。
映画としては当然シリーズのファン以外の層も取り込まなくちゃならないわけですし、そこら辺のバランス感を失っている気がしました。
この、原作や押井版のファンと、そうじゃない層とのテンションの差みたいなものが評価の剥離に直結していると思いました。
作風としてはやはり『ブレードランナー』という先駆者があって、攻殻機動隊もブレードランナーの影響を強く受けています。
そういった点から考えると、本作のBGMが凄まじくブレードランナーっぽいという点も理解できます。
BGMの面ではブレードランナー的であり、ハリウッド的であり、押井版にあったドゥーム感漂う雰囲気というものが殆ど見られなくなっていました。
最も、完全に排除されたわけではありませんが。
要はこれってサイバーパンクという作風のファンに向けたアピールみたいなもんだと思うんですよ。
世の中のサイバーパンク好きが全員アニメや漫画好きってわけじゃないですし。
そして、作風、特にビジュアル面で『ブレードランナー』を再度取り込むような形、とういうか再解釈みたいな感じになってます。
これが結果的に押井版『攻殻機動隊』と『ブレードランナー』の両者の差を曖昧にしてしまっているのかも。
そういう所から考えると、押井版から排除した要素にも注目すると面白いですよね。
押井版の影響を多大に受けた映画『マトリックス』がかつて大ヒットしました。
この映画では、GITSの中で印象的なシーンの数々をオマージュしているんですが、
今作では、このマトリックスでオマージュされたもの、例えば緑色の文字がずらーってなって言葉が現れるアレ(押井版ではスタッフクレジットです)とかは排除してます。
新規層に向けて『マトリックス』の印象を想起させないように考慮してたんじゃないかなーってちょっと思ってるんです。実際はどうなのかわかりませんけどね。
物語上で、主に動いている公安9課のキャラクターが、少佐とバト―と荒牧の三人だけっていうのも、ちょっと引っかかりました。
その割に、中途半端の9課の他のメンバーも紹介パートなんかが差し込まれたりしていて。
というかトグサの事だけど。
今作で攻殻を知った層って、トグサに対してどんな印象を持つんでしょうね。
ちょっと露出多いモブくらいの感じになっちゃってませんかねこれ!?
今作の映画を動かすうえではほぼ活躍は無いトグサですが、その割に要所要所ではしっかりとトグサのシーンは挟まれていると。
上記したファンサービス精神みたいなところがトグサまわりで裏目に出てる気がしました。
また、脚本のまとまりが無いように感じるという意見の原因のひとつも担ってしまってそうです。
ちゃんとトグサが義体化してない事を示すセリフがあったりする細かいキャラクターの見せ方は僕は本当に良いと思ってるんですけどね。惜しい。
というかトグサにもっと光を当てて欲しかったってだけの話!!
その上でも、やっぱり僕はこの映画好きですよ。
バト―が映画の冒頭ではまだおめめがマトモだったり、人形使いでは無く、ミラ=素子の元彼のクゼ=ヒデオ君の存在であったり、
お母さん感が醸し出され過ぎな桃井かおりであったり。
オリジナル要素は僕は全部好きでした。
というか後半の展開は出来事こそ押井版に準じてますが、そのストーリーはミラちゃんの記憶巡りになってますし。
要所要所でオリジナリティは差し込みつつ、しかし大まかなガワは押井版の実写化でもあるわけで。
というか少佐役がスカーレット・ヨハンソンだからこその後半の記憶巡りパートが良い味出しますよね。
キャスティング先行で脚本書いた訳じゃないとは思いますが、キャスティングとストーリーを上手くこう相乗させてると思いますよ。
■まとめ
要は、オタクが作った作品はクソ化するという一時期言われていたジンクスに関する話ですよ。
実際にはこのジンクスはもう忘れられている、というかオタク出身がしっかり功績を上げてきている為に覆されてますが。
今作はこのオタクのジンクスみたいなのがちょっと出てしまっている部分が悪目立ちしたんだと思ってます。
押井版に対するリスペクトを全編から感じますし、まさに押井版の実写化そのものである一方で、
その作風が結果的に新規層に対する説明不足にも繋がってしまったように感じます。
テーマの部分では、押井版、原作ともに複雑かつ難解な要素が内包される哲学的なものがベーシックにあります。
今作では後半からミラ=素子自身の記憶を取り戻し、自分自身を取り戻すという展開を通して、アイデンティティに関するものを強調しています。
描写もストーリー展開も幾分わかりやすいと思います。
攻殻っぽい作風も崩れていませんし。
オリジナルよりも大衆向けになっているとハッキリ言っていいと思います。
その大衆向けに切り替えたものの、押井版に引っ張られ過ぎた部分が多いのが問題なだけで。
そこのバランス感を誤った部分がありますが、
攻殻機動隊の実写映画という部分では見事だと思います。
ビジュアル面もストーリーも、オマージュも全て僕は好きです。
評価悪いなぁって思って敬遠してる方も観てみたら意外と良いじゃんってなるかもしれませんよ。
何故なら僕がそうですからね!!
公開当時、あまりの非難の嵐に意気消沈して映画館まで行って観るのやめましたからね!!
ホントバカ!!!
もしそんな僕と同じような感じでまだ観ていないのなら勿体無いので絶対観た方が良いです。
ではまた。
アニメシリーズとか観てたら、字幕版の後に吹替え版も観た方が楽しめると思います。
キャスト陣がアニメまんま!!
今作のトグサに山ちゃんはもったいねえって!!